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2006年1月17日 (火)

松岡滋子先生不当人事不服提訴 第1回口頭審理傍聴記

松岡滋子先生不当人事不服提訴 第1回口頭審理傍聴記
                                           一楽重雄

関内の横浜市人事委員会で表記の公開審理が、12月26日午後1時半より行われた。
この証人尋問を傍聴して、私はこの事件がすっかり分かったと思った。また、証言内容の事実の重さは衝撃的であった。中田市長が、白を黒、黒を白と言いくるめようとしている実態が明白になったように思う。市大で経験した合理性のない「改革」と同質のことが、脳血管医療センターでも同じように、あるいは、もっと悪く行われようとしていることがわかる。取り急ぎ、印象に残った内容を報告したいと思う。
傍聴席は、ちょうど満員であった。恐らく患者さんとその家族の方と思われる、比較的年配の方が多かった。報道陣も10名程度であろうか、席を取り、最初から最後まで取材していた。始まると、すぐに、後ろの席の方が「聞こえません、マイクを使ってください」という声があがった。事務局は、マイクを用意しておらず、井上審査員長は、「今日のところは、席の配置を変え、証言者が傍聴席に背を向けるのではなく、横向きで証言することでやらせて欲しい」ということであったが、横浜市の人事委員会にマイクがないわけもなく、丁度、始めようとした頃にマイクが到着し、この件は一件落着となった。これまでに約20分の時間を浪費した。ちょっと気になったのは、井上審査員長が事務局をかばったことだった。

証人は二人、最初が提訴側の証人で脳血管医療センター脳神経内科副医長の栗田医師である。栗田氏は、一見「かよわい若い女性」であったが、その証言内容たるやすさまじいものであった。証言は長時間に渡りいろいろな内容が含まれていたが、ここでは印象に残ったことのみを報告する。特徴的なことは、証言がすべて具体的であったことである。

脳外科の医師の処方が不適切。血圧が高いとアダラード舌下錠、発熱すればインダシン座薬、尿が少ないとラシックスというように機械的な処方を繰り返し、個々に十分な診断をしなかった。蜘蛛膜下(くもまくか)出血の手術は緊急を要するものだが、金曜日の午後に入院した患者は月曜日まで待たせて手術をしていた。このことに松岡先生は改善を促したが、改善されなかった。
脳外科での血管内治療の成績が悪い事。中森、梅川医師の執刀例11例中6例に後遺症が残り、死亡例が2例ある。全国の統計では後遺症が残る割合は4.2%であり、60%近いのは、端的に言って執刀医師の腕が悪い。術後の症例検討会は、一度しか開かれたことがない。
2003年2月くも膜下出血の患者の手術で、術中に血管梗塞を起し小脳梗塞を起こした。
2003年7月28日に「内視鏡による血腫除去手術」がなされた。朝のコンフェランスで、カルテが患者さんに説明中でないということでカルテなしであった。翌日、患者さん家族と脳外科医が言い争っているのを聞いた。看護師から話を聞いた結果、内視鏡の手術から開頭手術に切り替えたことが分かった。倫理委員会にもかけていない。
11月19日診療科会議。26日にインシデント・レポートをあげる。12月27日午後6時から症例検討会。この手術は、高梨医師小島医師にとって初めての手術であったが、講習を受けたり練習したりすることもしていなかった。
梅川医師、中森医師が執刀したカミングスロイド氏の手術も事故であり、植田医師が11月2日にインシデント・レポートを出している。これについて、8日に衛生局から「技術的に問題なし」と記者発表があった。畑先生を委員長にこの問題の調査のための小委員会が作られ、6回の委員会を開きヒアリングも終わる。畑先生は副センター長から担当部長に1月27日に降格された。
リハビリ科のいまよし氏は、実際に患者を担当しないのに診療報酬を請求している。不正請求である。
共通の友人を通して、中田市長が松岡医師と証言者に会いたいと言って来たことがあり、2002年11月2日プリンスホテルで共通の友人と4人で会った。その後も合わせて3回会った。今証言したようなことをすべてメールで私設秘書に送った。秘書は、プリントアウトして市長にすべて見せたといった。その後、2004年8月16日のラストメールで「自分が任命したのだから、すべて岩崎(病院経営局長)にまかせるとのことだ」と秘書が書いてきた。裏切りと感じた。その後、松岡医師の配転があった。
現在のセンターは、病床も60%くらいしか埋まっていない。松岡先生や畑先生を呼び戻し、よい先生を集め、病院が再生されることを願う。

次に、2番目の証人は、現在はセンターから転出している飯野医師でした。
松岡医師は、職員に対する言葉や態度が悪い、また、自分の考えを絶対とし他人の意見を聞き入れず、人格まで否定する。そして、患者を分けて接し、議員関係者など権力者には手厚く、そうでない患者にはカルテなども書かない。
松岡医師は問題があると看護士をナースステーションや廊下に監禁した。それは毎日のように日常的に行われた。松岡医師が看護士などを詰問する内容については、一件しか分からない。今回の配転人事は、松岡医師の職員に対する態度が悪かったこと、そしてまったく反省しないことの責任を取らされたもので、医療過誤の告発に対する報復ではないと思う。
松岡先生のこのような態度を問題にする多くの人がいて、センターに文書も出されている。それを具体的な証拠として私が転記して陳述書に書いた。陳述書を書くように、センターから頼まれた。転記した文書は、自分が今年センターの看護部に行ってもらったものである。元職員だからおかしくはないでしょう。

まるでドラマのようにと言っては不謹慎かも知れないが、こんなに精神的に興奮する経験は、久しぶりであった。
松岡、栗田両医師の勇気に、心から拍手を送りたい。飯野医師には、人間の持つ弱さを感じざるをえなかった。「センターから頼まれたから陳述書を書いたが、証人喚問までされ追求されるとは思ってもいなかった」という趣旨の発言は、本当の気持ちであったろう。

横浜市は飯野証人から「松岡先生の言動がよくないから、異動はその責任を取らされたのだと思う」という証言を得たわけだが、皮肉なことに、これ自身が今回の異動が中田市長の言うように「通常の人事」ではないことを物語っている。

2月27日午後1時半からの次回の審理には、栗田医師に対する反対尋問、畑元副センター長に対する尋問が行われるとのことである。ぜひ、傍聴に行きたいと思う。

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